昭和52年12月18日 月次祭
今共励殿に、久留米の中村さんが奉仕をされて、活けられた花がなんとも言えん、一つの雰囲気というか、たたずまいを作っておるのです。ちょうど素人が入れたような感じの花です。それでいてとてもとても素人では、入れられないという花です。こういう長い真っ黒の水盤を二つ使って、そしてあの広い山水の軸が三幡対の軸が架かっておる前に据えてあります。何とも言えん調和何とも言えん、まぁ自然の美しさと言う様なものを、そこに集めて入れられたという感じです。
一遍ちょうどまぁ堤防あたり、言うならあの山近くの野原にでもあるような情景を、そのまま持ってきたのじゃないかと言う様な感じに、入れてあるです。ですからこらまるきり素人が入れたつかなと思うようにあるけれども、なかなかどうして素人では、あんな花が活けられるとは思われない花です。信心も信心をしておるからと言うて、特別に光り輝いておるという訳でもなし。一見信心があるやら無いやら分からんのですけれども、見るものが見聞くものが聞くと、言うておる事行うておる事が。
とても信心を頂かなければ出来ぬ、信心を頂いておらなければ分からない。そういう生活状態。いわゆる信心生活が出来るようなね。おかげを頂きたい。とりわけ特殊なと言う事ではない。やっぱり一見は信心のある者も、ない者も分からん様にしておるけれども、何かと言う事になってくると、その信心がいわば輝きだすと。なるほど信心があるからという様な所までは、お互い信心をさせて頂きたい。いわゆるそれには信心の稽古を本気でなさらなければならない。
今日久留米の、ある大きな病院の奥さんですけれども。もうお参りをされるのは、もう合楽にいや、椛目の時代から参っておられる。時々そしておかげを大変、頂かれるんです。永年結婚して子供が出来んというので、お願いに見えてお子さんを、次々と頂かれてもうそのお子さんが、もう高校でしょうか。というもう随分長い信心ですけれども、もうなかなか、そして出来た方なんです人間的に。けれども人間的にどんなに出来ておっても。言うなら信心の稽古をしなければ、一つも光も輝きもない。
その方の御姑に当たられる方も、最近はよくお参りになります。それで一見何も無いように見えるんですけれども。何時もお母さんとの間に、何かがそれこそここへ座ると、うちでは涙が流れませんけども、ここへ来ると涙がこぼれて仕様がないと言う様に、一生懸命うちでは堪えておられると言うようなものが出てくる。そこの先生の弟さんで、頭が悪いわけじゃないけれども、仕事が手につかずに、次から次と転職していかれる。お母さんはそれが悩みで、合楽に参って見えられる。
そしてやっぱり屑の子の方が可愛いんです。弟さんの家別れしておられるところに、色んなものをまぁいわゆる、その嫁さんにこっそりと持って行かれる。確かにもうお正月が近付いてきたけんで、お重を出しとかんならんと思うて、探しなさったけれどもいつもの所にない。それでお母さんに聞かせて頂いたら、弟の所に貸してやっとるとこう言われる。それで弟嫁さんに、あのもう正月が近付いてきよるけん、お母さんが貸してあるげなけんど、返してくださいと言うて、催促に行かれたところが。
あらあらお母さんなもうここで使うとかんのち、もうやると言わっしゃるけん、お返しもしなかったと言う様な事だったと。もう何かにつけてその私に隠して、そういう風になさると言うのがです。もうこれほどお母さんに、自分が尽くしておるのにも関わらず。お母さんは私に嘘を言うて、そのまぁ弟を庇われると。もうそれが残念だという訳です。それを聞かせて頂きよって、もう合楽で本気でです。今の合楽の信心を身に付けていかれることなら一つも問題じゃないことですよね。
皆さんどうでしょうか。まぁ黙って治めるとか成り行きを大切にしていくとか。結局信心の稽古をなさらんのです。話を聞くという事をなさらんのです。自分が娘時代にそのお里からも、ここに参って見えます。両親ともなかなか出来た方ですから、いわば嫁にやるまでの色んな教育も、ちゃんと身に付けられてその人間的な教養やら、そのあり方という様なものは、十分稽古もさせやっておられるそうですけれども、いわゆる一つも信心の見方、信心の考え方という事が出来てない。
今日は久し振りでその信心の稽古をなさり、今合楽で私が申して降ります様な事を、あんたの今のお話を聞いたら、もうその全てが信心の稽古にならざるはない。素晴らしい信心の稽古が出来るのにね、と言うてまぁお話をしたことです。信心をしておっても、信心の稽古を。その事を通して稽古をさせて頂くと、その事自体すらも有難うなって来る。そこにですやはり永年お参りしておっても、稽古が出来てなかったら、信心の言うならいわゆる本当の見方というか、考え方というものが分かりません。
お互い一つしっかり信心の稽古をさせて頂かなければ。とてもとても稽古をしたものでなからなければ生けられない。けれども、一見特別にどうと言う事じゃないのだけれども、まぁだそのお家でもです。一見は嫁姑の仲も良いし、なかなか良い家庭なんです。けれども心の中では何時も、お母さんがお母さんがと。だから私に内緒にしなさらなければならないような元が、私にあるのじゃないだろうかという風に、思うて見るけれどもと言われるから、そらやっぱあるのですよ実際は。
またはあなたに気兼ねさせなさるようなものが、何かがそこにあるのです。だから、つい嫁にこっそりとと言う事になって、しかもそれを問い詰められると、そこで嘘を言わんならんと言う事になる。大体問い詰めると言う事も、可笑しいですよね。また弟嫁さんにその重箱一つ二つ、その大きな大家ですから、今日もそれを言われるんです。それが一つぐらいなかっても、私に言いなさりゃ私が上げますじゃん。お母さんからやられるとは気に食わん。自分がやるのならば惜しゅうは無いとこう言う。
結局自分のその兄嫁としての顔とか、または姑嫁との自分の立場と言った様な事が、何時も中心になっているわけなんです。神様が中心じゃないです。気の毒なお母さん気の毒な弟達夫婦と言う様な、神心が動かないわけです。不遇の中にあるならば、それは自分が助けてやったという事にならなければ、気に沿わんという訳なんですね。私がまぁしてやると。信心をさせて頂くなら、どうでもお互い日常生活の中にです、そういう信心でのものの見方考え方が、何時も平穏無事である。
家庭円満であるというおかげでないとです。やはり涙が出るように、情けなかったり、悲しかったりする訳です。ここで信心の稽古を、もなさった本当に稽古をなさったおられる方ならば、一つも問題じゃない事が問題になるのです。今お祭りを仕えさせて頂く前に、ある先生がお届けに出てまいりました。先ほど御本部から、ある先生から電話が架かってきた。昨日本部で大きな会合が持たれた。地方からその議員の先生方が、みんな集まってそのお話を、いわゆる出されるのが、宮崎のある先生であった。
そしてその先生が言われる事には。最近は合楽が宮崎に進出して、荒らされておる。でそこに議会の材料になった訳です。ところが不思議なことに、今度はそれを他所の、他の先生方が一つも問題にしなかったと言う事をです。その会議に一緒に出ておられる先生がです。合楽に対する見方というものが、荒らされるなら荒らされるほうが悪いんだと。荒らしよるとじゃない。いうならば合楽の御比礼が、宮崎の地方にまで輝いておるんだと言う様な本当な見方が、段々出来てこられたのではないだろうか。
まぁそれを感じられたから、嬉しいからわざわざ電話を架けて下さったんだという風に思うんです。昨日は鳥栖の向こうになりますから、基山と言う所山口熊本ではない、佐賀の基山。本郷教会の二番目の息子さんが出ておられるお教会です。そちらに末永先生がこちらに今帰って来ておると言う事を聞いて、お電話でお祭りに出てくれと。それもあの装束を持って参列をして欲しいと言う電話がかかってきた。
それで私の所へ来ましたから、それはいいじゃないの、そんならおかげ頂きなさいと言うて、昨日は朝から基山の教会に参りました。それで先生があちらの親先生やら、みんな甘木関係ですから、見えておられてそして、久留米関係の先生のお説教があった。いうなら合楽関係からも参列させて頂いた。もう何とも言えん、全教一家の実が上がっていっておるような感じ。それで末永先生あぁたんところの親先生は、こういうふうな事をお願いしても、何とも仰らんですかち。
いいえうちの親先生はそんなことは、決して仰いません。私が十年あちらで修行させて頂きましたけれども。喧しゅう怒られたと言う事がありません。一遍なんかは私は四十何匹という鯉を、薬を間違えて殺してしもうた。そん時なんかでも親先生は、大体鯉と言うのは御神徳と言われて、ほらもう私の御神徳をめちゃくちゃにしたという風に、怒られると思うておったところが一言も仰らなかった。
うちの親先生はそういう先生ですよと。それであちらの先生もまぁ安心して、実は私はもう合楽の先生が、好きで好きでたまらんち言う。もう遠いところにです。それは私の書いたものを、まぁ私はまぁだ全然知らんです、基山の先生は。けども向こうからははぁあれが合楽の先生だ。そして書いたものやら、話しておる事を、まぁ垣間見に見たり聞いたりして、いよいよ合楽の先生に憧燃心を燃やしておる。何か、ここにそういうきっかけが出来たら、合楽の先生のお教えを頂くことを、まぁ心に考えておる。
今は色んな事で行けないけれども、私は合楽の先生が好きで好きでたまらんと言うて言われたとこう言う。私はそういうものをです。もういうならば、全国の御道の信心を頂いておる方達が、合楽の話を聞いてはぁ合楽はけしからんという風に見ておる先生もあるかも知れんけれども、とりわけ、本部辺りではそういう風に、合楽はまるきり金光教じゃない、合楽教だよと言われるような見方をされる方もある中に、この頃段々合楽の生き方というものが、見直されてきた。いや本当な事が分かってきた。
そういう問題が出た時に、ほんなら合楽をとっちめると言うのじゃなくて、そう言う事は問題になさらなくなって来た。教会が荒らされるとか。信者を取られるとか。それは荒らされるほうが悪いのですよ、取られるほうが悪いのですよと。まぁ言う様なものが、口には言われんけれども、全然問題に取り上げられなかった。それを聞いておられた先生が、有難いと思うて合楽に対する見方が、本部が変わって行かれてある様子を、まぁ一時も早う知らせて、喜んで貰おうと言うのじゃなかったでしょうか。
今日は山本先生が、研修のちょっと前でした。手紙を持って速達で来ておる。ひっくり返してみたところが、こちらの自分の教会であるところの、芦辺の教会にまだおると思うておるから、芦辺教会の山本先生と言うので、手紙が来ておる。そして私ちょっと驚いたんですけれども、東京の秦先生からのお手紙である。いうならば東京の一番初めに、御道の信心を起された、秦徳三郎先生の後の教会です。
日本橋教会。で先生こう言う手紙が来ました、ちょっと見て下さいと言うから、ちょっと読ませて頂いておったら、先日報徳祭にお参りをさせて頂いた時に、確かに一番先頭で拝んでおられたのを、合楽の先生と見ました。そしてその横にあなたがおられ、見違いだろうか見違いでなかったらと言うふうに書いてありますから。あんたあげなところに参りよるの、合楽の先生のという風に、書いてあるかと思った。
ところがもしあなたが合楽の先生との係わり合いがあるとするならば、今度あちらから発行されておる、教典感話それに合楽理念を語るという本が出ておるそうですから、それを何とか送って頂けないだろうか。もし私が見違いでその先生との係わり合いがないとするなら、何かそちらでそれを手に入れる方法があるならば、入手して送ってくれないかと言う事が書いてあった。この頃からも先生のご本が出ておる。なかなか教学肌のまぁ素晴らしい先生なんです。が合楽の信心に関心を持っておられた。
たまたまどこでかチラッとこう見られたんじゃないでしょうか。そして是が非にでもしかも速達で、例えば来ておると言う事は、一日も早うその本を本当に、自分のものにしたい読みたいという思いが感じられるのです。これは丁度大祭の朝でしたから、昨日一昨日になります。札幌の教会の先生がもう分厚い手紙をよこされました。それもやっぱ速達であった。おかげの泉または合楽便りを、まぁ愛読しておられる先生なんです。私は全然一面識もないし、知りもしませんでしたけれども。
聞かせて頂いたら、矢野先生があちらへそれを送っておられると言う事。もうそれこそ分厚いもう大変、ねんごろな手紙でございました。そしてね合楽理念に出てくるところの信心の、まぁ言うならば素晴らしい。私共が頂きたい求め合うておった内容が書いてあるが、分からないところが出てくる。これはおかげの泉を見ても、分からないところが出てくるが。こんな遠いところに居りますから、いちいち参拝をして、お伺いをするのが本当なんですけれども。
手紙でこれから分からないところをお伺いしたりまたは。合楽示現活動に参画すると言う事は、合楽にご神縁を頂いておる方達だけでなからなければ出来んのでしょうか。私共にそれも叶えさせて頂いても良いのでしょうかという様なお手紙でした。そして三か条このことが分からないから、もしご返事が頂けたら、よろしくお願いしますと言う。それもやっぱり速達で来ておりました。
ちょうど御大祭の前の十五日の日には、中近畿いうならば大阪に、日本で一番教会が四百からあるところです。金光教が一番盛んなところ。また大きないわゆる、マンモス教会がもうたくさんあるところです。その中でも、阿倍野又は玉水、泉尾と言う様にそれこそ、合楽辺りでは足元にでも寄らん様な、大きな教会があるところの先生方がです。この頃はもう合楽に対する、その心の寄せ方というものは、ただではない。これは自分一人のための合楽ではない。
今の教団にです今の、合楽で言うておる大坪先生が、言うておる事を中央に持ってくることのためには、いよいよ合楽の信心を深く、広く分らせて頂きたい。為にはあちらの教師全部の、いわば総意であちらに、この九月に大きな講演会が持たれる。為にどうでも合楽の先生を引っ張り出したいと言う。先生はなかなか出らない。絶対よそにお話しなんかに行かないと言う事だけれども。私達の真心誠意を買ってくれたら。出て来られん事もなかろうと言うので、何回も何回も見えてその交渉に見えておられる。
と言う様なそういう只中に、今合楽教会はあるのです。ですから合楽の長年、信心を頂いておっても、親子の問題夫婦の家庭的な問題でもです。ただじっと人間的に出来ておって、堪えておると言う様な頂き方ではなくて、その問題を通していやその事自体が、神様の願いだ、御神願だ泉尾の先生のお話を頂くと。もうそれが御神願なんですよと、手をとって喜び合われる。その難儀のように見えておるけれども、その難儀な問題その問題が、あなたの信心をいよいよ、高めて下さろうとする。
いよいよ力を与えて下さろうとする働きの、何ものでもないのですよと。神願有り難うございますと言えれるような問題をです。問題にしておる様な事では私は行けない。そういう中にあるなら合楽の信心者、いうなら信奉者の皆さんがです。そこん所にはっきりとただ見た目には、さほどに変わりはないけれども、いよいよ問題に直面したときの姿というものは、日頃本気で信心の稽古をしておらなければ頂けないと言う様な心の状態が開けてくるおかげをです。頂かなければならない。
合楽で言っておる事が、本当だと言う事になっても。ほんならそこでご神縁を頂いて、おかげを頂いておるご信者の皆さん、一人一人が本当なというおかげを頂きながら、信心生活が出来るおかげを頂かなければいけない。これも昨日末永先生がその基山から帰って参りまして、昨日は丁度合楽会でしたから。合楽会の中で先生が話しておりました。お説教が惟は久留米関係、いや久留米関係と言うよりも福岡関係ですね。唐津のご長男が浜崎と言う所に、布教に出られてもう終戦後ですから三十二年になるそうです。
丁度ここの御大祭の日が、あちらの五十五年自分が行かれて三十二年。もう誰が行かれても道が開けなかった教会がある浜崎に。そこに自分はほんなら、あの大きな唐津教会の長男として、おかげを頂いておりながら、後を弟さんにし自分は、そういう全然人も寄り付かないと言う様な教会に、三十二年前に布教に出られた。なかなか気骨のある先生。もうその先生のお説教が二時間に渡ってあった。もうそれこそ時間を感じさせないほどしの素晴らしい、まぁお話であったと言うのです。
十年間お広前がひけると、そのまま海に出られる。もうその海岸の町小さい町らしいです。そして十年間海の水につかりながら、大祓信行をしたち言う。それこそ薪一本買わずにいうならば、浜伝いにですねもう夕方、晩になると奥さんと二人で、焚き物拾いに行きなさる。こう打ち上げて来ておるつげといいますかね。それを拾うてきてそれを燃料にされた。それこそ大変な昔の言うならば、先生方のお話に聞くような、気骨のあるいわば先生なんです。それが段々おかげを頂いてです。
おかげで今私の方には、まぁ本当の信者と言うのは三十家族しかない。けれどもその三十家族の信者がです。今度の五十年祭にです。一人で。五十万平均ずつのお供えが出来るところまで、信心が育ったと言うお話をなさったそうです。はぁ徹底した信心の教育があってる訳ですね。今日阿倍野の先生のお書きになった、ご本を佐田さんを通していただきました。先日から中近畿から来た時、先生方がここで貴重なご本を、何時も頂いておるからと言う、お代わりのつもりでしょう。
阿倍野から出ておる厚いご本を、ここに置いて行かれたのを、私は今日初めて若先生から、それを見せてもらった。それにはちょうどもう私はその本を見てから、ちょうど私共が高橋さんと、あちらへ先生の所へ行った時が、五十年の記念祭であったから、もうあれから丸五年たつ。だから今年が五十五年祭の記念に出ておるご本を、この頃若先生が頂いておった。もうこの前のにもそうでしたけれども。五十年祭が終わると同時に、五十五年の計画があって、その五十年の計画に向って、信者一同がです。
もうその事にかかって信心をする。だから自分もおかげを、どんどん頂いておるというおかげ話やら、先生のお説教やらが出ておるご本でした。本当にその教導と言う事が素晴らしいですねやっぱり。それこそ神の用を足せば、氏子の用は神が足してやると言う様なおかげを、如実に現しておられるお教会。浜崎の教会でもやっぱり、そうである。そうして自分が浜崎に出て、三十二年にならせて頂いて、始めの十年間はそれこそ海の中につかって、毎日大祓信行を続けると言う様な修行をさせて貰うて、様々に人が助かるためにいうなら、心を砕き身を削りながらの三十年間であった。
そして最近自分が到達しておる事は、御道の信心は表行でもない心行でもない。ただあるものは金光様あなたのおかげで、今日がありますと言う、金光様あなたのおかげでというものがあるだけだと。金光様を四六時中自分の心の中に頂く以外にはない。表行でもない心行でもないと言うお話をなさったと言う事を聞いて、自分も感銘して帰った末永先生が。いわゆる合楽で言われる所の、表行を全廃して心行一本と言う事は。心行もないと言う事はいうなら、金光大神を何時も自分の心の中に頂いておくと言う事。
それがそのまま心行なんだ。だから実意丁寧な事をしなければおられない。だから言葉を変えると、金光教の信心は、表行もなからなければ、心行もないと言う事になるでしょうが。なら合楽ではそれを心行一本、お風呂に入らせて頂いても、お便所にいかせて頂いても、いわゆる、心行が続けられておる限り、そこに言うなら実意丁寧なあり方というものが、自ずと生まれてくる。そしてそういう有難い時間を感じさせんほどしの、まぁお話を頂き終わってからです。
改めて思わせて頂いた事は。何と合楽の信心の素晴らしいことか、合楽理念の素晴らしいことかと言う事を、また改めて分らせて頂いたと言うのでございます。合楽理念と言うのは、皆さんそんなに素晴らしいんです。今日あるお婆ちゃんが参って見えて、もうあの有難い教典感話を、お神様の前に置いて、毎日何ページか読ませて頂く。そして息子やら嫁達にも読まんのち言わんばっかり、そこに置いてあるけれども、それを開こうともしないと言う事を聞かせて頂いて。
果たしてです、合楽であれだけ沢山な方が、ならあのご本を頂いたが、それを果たして日々ほんなら、一ページでも読ませて頂いておる人、おらない人がやっぱあるのじゃなかろうかと、こう思うのです。ほんなら秦先生というならば、全国でも有名な東京の芯をなすほどしの、お教会の先生がいわゆる合楽理念を、パラパラと恐らくどこでか見られたのでしょう。教典感話を見られたのでしょう。そしてそれを自分のものにして、まぁゆっくり読みたいと言うのを、しかも山本先生の縁にすがって。
それもいうならこの頃報徳祭にあんたが、合楽の親先生と一番真正面で、横に座っておるのを見て、これは何かが関係があるに違いはないと思うて、あなたにお願いをすると言うお手紙である。本当にあの学院にあれを百何十冊送りました。けれども教典感話は頂くけれども、合楽理念のほうは頂かれんと言うて返された。そういう素晴らしいものをです。まだそういう向きもまだあると言う事です。それを何とか手立てをしてでも、入手したいと言うほどしの人があるかと思うと。それは読まれんという人もある。
いやそれを頂いておってもです、ただ記念品に頂いたと言うだけで、お神様の棚に上げたままになっておると言った様な事はないだろうか。合楽理念をこれほど、私は今日の研修の時に修行の先生方に申しました。今の札幌から来ておる手紙。それから山本先生に来ておる手紙。最近中近畿から見えてから、お話をされる先生方の話やらを交えながら、聞きながらあなた方の場合でもね。合楽で十年間もいうならば、修行をせんならんと言う事はないよと。本気で合楽理念をマスターしてね。
おかげを頂くならば。もう一年間ででも、布教に出られるようなおかげを受けられるよと。私は今日はそのある修行生の事をお願いさせて貰いよったら。修行のこの修行の修という字をこの人偏を書いて、今度一を書かにゃいかんでしょう。その人偏を書いて直接、こう書いておるところを頂く。いかにも修行の修の字に見えるけれども、もうそれは修行じゃないと言う事。この一点一画を今疎かにせずに、今こそあなた方はその事に専念しておるのであるから。
それこそ合楽理念をマスターして、その実行者行者としてのおかげを頂くならば。五年の十年のと言う事は要らん。一年、二年いうなら二、三年で、合楽の信心をマスターして、心の中に頂く所の安心のおかげ。この合楽理念さえもっていきゃどこへ行っても、道は開けるという安心をもって布教に出られるよと言うて話した事でした。それには本気になって目ごもう、そこの所を頂き抜くという信心にならなければいけない。
修行の修の字に見えるごたるけれども、白字なんだと言う事、だからここん所を私共がおかげを頂かせて頂く時に、信心というものが有り難うして、楽しゅうしてそして、愉快にまでも信心を向上していくことが出来るという信心。いわゆる合楽理念をです、本気で分かり本気で行じさせてもらう生活の中に、言うなら信心がないなら、それはなるほどぐうっと堪えて、毎日心の中にもやもやせんならん様な問題でもです。もうその事が楽しい有難い、そしてほんならおばあちゃんの事を、祈らずにはおられない。
弟達のことをまた嫁達のことも願わずにはおられない。そういう私は心が自らの心も、また拝めれるような心の状態にも育っていく。信心が豊かに大きゅうなって行く。そういうおかげをです、いよいよ身に付けていく稽古をなさらなければならないと言う事でございます。今も申しますように、それこそ全国津々浦々それこそ、北海道のあぁいう札幌辺りからまでもです。
合楽の信心を合楽理念を、合楽示現活動に参画すると言う事を。手続きに違う私共でもその参画にあわせて頂いても良かろうかと言う様な、熱のある手紙がここ一両日の間に聞いたり、見たりさせて頂いて、これはただ事ではない。そんならその真っ只中にあるところの、合楽教会の信奉者の皆さんが、そうですよと合楽理念をもっていうなら、昨日末永先生が、昨日感じたという素晴らしい、そういうお話をいただきながらです。だからあなた方が修行に出てから。
十年間で二十年でも、苦労をし続けておられる教会が沢山あると言う事です。合楽で例えば三年なら三年間でみっちり合楽理念をマスターして、自分の信心の上に現せて行けるところまでおかげを頂いたら、それこそ末永先生じゃないけれども、言葉の分からないところへ行っても道が開けるんだと。傘一本で開ける道とはそう言う事なんだと、それを身に付けていく信心をです、だからこれは修行しておる先生だけの事ではありません。皆さんの一人ひとりが、合楽の信者信奉者が、合楽理念に基づく生き方をね。
それは一見どこの教会の信者も、合楽の信者も変わらん。唱えておるのは生神金光大神であり、天地金乃神様なのだけれども。いよいよそこに行き当ててみたときにです、これは信心のない者いうなら、素人が生けたかのような感じの花でも、やはり見る者が見るとこれはただ事ではない、いわゆる稽古にも稽古を積まなければ、こんな花は活けられないという様なです、所までいうなら見る人が見れば分かるくらいな信心を一つ、身に着けたいと思うです。
山本先生がこの報徳祭に、始め私とお参りをして、それこそ八方色んな目がありましょう。あれはもう二股膏薬のような男だと、言うごたる風な見方をした人があるかも知れませんよね。福岡関係の先生ですから。けどもそんな事なんかもう、お目ず臆せずもうとにかく、親先生のそばから離れんという生き方が、たまたま秦先生の目に止まった。遠くから見た。確かにあすけ座っておるのは、合楽の先生。その横におるのは見たごたる男ち思いよったら、山本先生じゃったとこう。
あらだから確かに合楽と関係が出来ておるに違いはないから、先生に頼んでいうなら合楽から出ておる、教典感話も読みたい。または合楽理念もあれば送って頂きたい。もしそうでなかったら自分の見違いであったら。あんたがもし合楽に手がかりがあるならば、そこからなんとか入手の方法はなかろうかと言う様な熱意が教団全体の上に、今起っておると言う事なんです。ただ九州だけですたいね。
まだガタガタ言いよるとは。かえって大阪これが動き出した。しかも東京の秦先生が恐らく合楽に寄与されて、東京に中心にそう言う事になってくるならば、これが御本部のほうに行かないはずがない。それこそ北海道の果てからまでも、合楽の信心が分かりたいと言われておる。だから成程いうちゃる事だけは、成程立派だばってん信者は、いっこうそうじゃないと言う様な事であってはならないと言う事なんです。お互いが一つ本気でおかげを頂かねばならんですね。
どうぞ。